アコースティックギターが私にくれたもの|人生の友として

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今回は私の相棒として長く人生を共にしてきたアコースティックギターについて書かせてもらいます。

私は幼少の頃より歌うことが大好きで、お風呂の中や誰も居ない場所があるとついつい歌い出してしまうほどでした。私が小学校ぐらいの頃(約40年ほど前)はカラオケボックスもそれほど広まってはおらず自宅に演歌が歌えるカラオケ機が置いてある程度でしたが、親が歌っているのを見ては自分も一緒に演歌を歌ったものです。

それが中学2、3年の頃だったと思うのですが幼馴染みの友達がアコースティックギターを買ったのです。その当時70年代フォーク全盛期の最後に現れた長淵剛に友達がどっぷりはまっていて、「俺らの家まで」「順恋歌」「順子」等々を弾きこなしていました。その衝撃たるや、今までテレビの中でしか見ていなかった長淵の歌を目の前の友達がギター弾き語りでほぼ完璧に歌いこなしている事に嫉妬を感じたものです。

自分もギターを弾いて歌を歌えたら気持ち良いだろうな?そんな憧れが凄く湧きあがってきたことを覚えています。ただ自分はギターを弾けない理由がありました。それは幼い頃に大けがをした左人差指が上手く曲がらないというハンデがあったからです。1歳頃のことだったので全く覚えていないのですが自宅にあった機械の歯車に指を入れてしまい指が粉々に砕けてしまったみたいです。

その時の母の気持ちを思うと今でも胸が痛いですが、病院に急いで連れて行ってくれて骨を繋ぎ合わせてくれてなんとか指を残してもらうことができました。本当に感謝したいです。もし左人差し指がなかったらどんなに自分の人生が変わっていたことか。

ですからギターが弾けない事なんてほんの些細な事ではあったのですが、それでも高校に行って友達が文化祭で弾き語りで尾崎豊の曲なんか弾いていると、自分も尾崎の歌は大好きだし自分でギターを弾いて歌えたらなあ・・・。とうらやましく思うことが多かったです。

ところが、今思えばどうしてもっと早く気がつかなかったのか?と笑えてくるのですが大学3年になって突然ひらめいたというか知ったというか、レフティーギターがあるじゃないか?ということに気づきました。ほんとどうして大学3年生になるまで気づかなかったのか・・・。

当時は今のようにインターネットもそこまで普及していなくて情報もすぐには調べれなかったので音楽雑誌を好んで読まない限りなかなか情報は入ってこなかったのだと思いますが、ビートルズが好きだったらポールマッカートニーがレフティーであることに気づいたでしょう。高校の時にビートルズの赤盤、青盤が流行った頃に聞いていたのですが、ポールがレフティーであることには気づかなかった。

そんな訳で大学3年のある日、レフティーギターを発見して居ても立っても居られなくなって東京にある谷口楽器にすぐに電話をしました。ほんと何年憧れ続けてきたことか?その溜まりに溜まったギターへの渇望エネルギーが凄いマグマとなって吹き上がり凄まじい勢いが自分を後押ししました。

そして届いたのが、20年以上人生を共にしているYAMAHA DW-4SLです。

当時おそらく2万円ぐらいで購入したのではないでしょうか?まさに入門ギターではあると思うのですが、自分に取っては最高の友です。

大学3年からギターを始めるって少し遅い印象ですが、今と違って時間はたっぷりとあったので一日中練習を続けて2週間ぐらいすればある程度弾けるようになったと思います。自分が最初に練習した曲が、藤井フミヤ「TURU LOVE」

小学校時代に大好きだったチェッカーズ藤井フミヤさんの曲を大学で再び練習するなんて感慨深いものがありました。約1ヶ月ほどでほぼ完璧にTURU LOVEを弾けるようになり、いよいよ他の曲にも挑戦していこうと思っていた矢先、ふたたびギターを弾けない日々が訪れる事になります。その理由はここでは割愛させてもらいますが3年間ほど全くギターが弾けない状況になりました。

せっかく何年も思い焦がれてきたギターを手にしたのにまたしてもギターが弾けなくなるとは・・・、ほんと自分にとってもどかしい日々ではありましたが今となってはそれも大切だったのかと。

そんなわけで次にギターを手に出来たのが25歳の頃です。この頃、私は前職のハードな生活にとことん疲れてしまっていて仕事を辞めて実家に戻ってきていました。実家にもどって約3年ぶりに再会したアコギを見た瞬間、今度こそ上達したいという衝動が稲妻のように湧き上がってきました。

中学生で長淵を弾きこなしていた幼なじみを訪ねて1からギターを教えてもらおうと決意しました。時間はたっぷりあったので週に2,3回夜に友達の家にギターを習いに行く日々が続きました。

大学3年の頃に独学でやっていた頃とは全然成長スピードが違います。みるみるうちに上達して色んな曲を弾きこなせるようになりました。もともと大学時代からミスチルが好きだった自分はミスチルの曲をどんどん弾けるようになり半年ぐらいでアルバム「深海」の曲をほぼ完璧に弾けるようになりました。ただ友達は長淵一筋なので一緒にセッションすることはできませんでしたが・・・。

友達と一緒に路上ライブにも出かけました。また、2人で町のホールを貸し切って誰も客が入っていない小さなコンサートホールで歌ったりもしました。とても貴重な思い出とギターの技術を教えてくれた幼なじみに心から感謝します。

なかなか人前でギターを弾くことは勇気がいったのですが、自分の結婚式にミスチルの曲で奥さんへの思いを伝えたいと思い友達に手伝ってもらって初めて一緒にミスチルを弾きました。

また逆に幼なじみの結婚式で中島みゆきさんの「糸」を弾きました。いまでこそ「糸」は結婚式の定番曲になっていますが当時はまだあまり知っている人は少なくて一緒に歌ってくれる人も少なかったですが良い曲を選んだと自負してます。

それから会社の先輩の結婚式でも伴奏しました。親族の結婚式でも伴奏しました。最後に人前で弾かせてもらったのが仕事の関係先のパーティーでライブバーで余興として弾き語りをさせていただきました。まさか自分がライブバーで演奏できるとは夢にも思っていませんでしたが、そんな機会を与えていただいたことを本当にうれしく思います。

30代前半まではそんな感じで時々人前でも弾く機会を与えていただいたのですが、40代になった今はもっぱら趣味程度で家で弾いています。大好きなお酒を飲みながら大好きな歌を弾き語り出来る幸せな時間は何にも代えがたいです。

大学時代のあの時、レフティーギターに気づき、幼なじみがギターの名手であり、何よりも自分が歌うことが好きだったことで、人生においてギターという楽しみを得ることができました。

これからも大好きなギターを友に素敵な時間を過ごしていきたいと思っております。

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