今回は長年行きたいと思っていた高野山に行ってきたのでその時の様子を書きたいと思います。
高野山と言えば真言宗の空海が9世紀に作り上げた仏教の聖地とも言うべき場所で、世界遺産にもなっています。日本人にとって仏教は最も馴染みのある宗教であり、宗派はともかく歴史ある高野山にいつかは行ってみたいと思っていました。
高野山参拝と言っも標高800mの場所にある彼の地にどの様に行ったらいいのかよく分からなかったのですが、調べてみると大阪の難波から高野山行きの電車が出ていますし、京都駅からは高野山行きのバスがあるようです。
でも自分たちは古の時代より高野山の参拝道として多くの方が登られた町石道を通って高野山に登りたいと思いその計画を立てました。
いざ調べてみると、なんと距離として20km、平均コースタイムとして6時間もかかることを知り少し不安になりましたが、よくよく調べてみると800mを6時間掛けて登るので斜度は緩やかで登りやすいと書いてありました。
これならゆっくりと無理なく登れば行けるかと思い行く事を決断。
私が住んでいる場所から高野山の玄関口とも言うべき九度山へは3時間ほど掛ります。
早朝に3時間掛けて九度山に行きそこから6時間も掛けて登るのは体力的に厳しいかと思い、前日の夜8時頃に出発して九度山にある「道の駅 柿の郷くどやま」で車中泊をして、次の日の朝6時頃から登る計画を立てました。
こちらが道の駅 柿の郷くどやまです。
夜11時頃に着いたのですが、結構車中泊をしている人が多かったです。比較的静かで車も停めやすくて、トイレも24時間使わせてもらえるので大変有り難いです。
こちらが町石道の全体マップです。
先ずは世界遺産でもある慈尊院を目指して歩き始めました。慈尊院までは一般道を通って民家を抜けて約10分程度歩きます。民家を歩いて行くのでなかなか見つけるのに苦労をしましたが、グーグルマップさんを頼りに行きました。
こちらが慈尊院につながる正門です。門の向こうに慈尊院の建物が見えていて素晴らしく絵になります。
こちらが慈尊院です。美しい赤に彩られた素晴らしい建物です。詳しくは分かりませんが、かつては女人禁制だった高野山であったため空海をたづねてこられた空海のお母様がこちらで過ごされていたとのことです。
慈尊院に参拝させてもらったあと丹生官省符神社に続く長い階段が続きます。最初の厳しい登りです。100段近い階段を登ると
丹生官省符神社にたどり着きました。慈尊院、丹生官省符神社ともに世界遺産です。まさにここから高野山参拝が始まるというワクワク感がありました。
ところがです、丹生官省符神社を右手に抜けた後、舗装された農道の様な場所に出るのですが、はたしてこの道で合っているのか不安になりました。グーグルマップを見てもいまいち場所がよく分からなくてそのまま上に上に上って行くのですが、あるはずの町石も見つけられず、ますます不安に(よく見れば町石はあったのかもしれませんが・・・)
そのまま、約10分ほど上に登ると今度は大きな道路に出てしまいました。
こんな大きな道に出てしまって本当に大丈夫かとまたまた不安。右に行くか、左に行くか迷ったのですが、自分たちは左の大きな橋を渡ることにしました。すると橋を渡ったすぐ右側に町石が見えたのです。その時の安堵感は凄かったです。ところが、その安堵感もこれから始まる長旅の序章に過ぎませんでした。
橋を渡って右手の参道に入ると一気に登山道の雰囲気に変わります。
前方左側に町石が見えます。町石とは1町109mの長さで丹生官省符神社から高野山まで180町石あります。その数を1町ずつたどっていくのですが、登れど登れど数が減っていかない事に前半は辛かったです。
また自分たち以外誰も登っている人がいなくて、それも相当不安になりました。
目指すは第一目標の展望台で166町石あたりにあります。予定では20分程度で登れるはずが、すでに40分以上が経過していました。
展望台入り口。ぱっと見分かりにくい。
展望台からの眺望は最高です。眼下に流れる川が有名な紀の川です。水質が凄まじく透明で美しいです。あまりの美しさに今までの疲れが癒やされます。
しばしの休憩を挟んで先を急ぎます。九度山は柿が有名な場所で、辺り一面柿畑が広がっています。柿畑の農道を上っていくと、今までこんなに多くの柿畑を見たことが無かったのでそれはそれで貴重な経験でした。
柿畑を抜けるといよいよ細い道に入っていくのですが、たまたまそのタイミングで地元の町石道を管理されている方と出会えて、その方に二ッ鳥居まで一緒に登らせて頂くことが出来ました。常に不安を抱えながら登っていた自分たちにとってはまさに救世主に出会えた思いで、これも弘法大師様がお導きくださったのかもしれません。
その方は、高野山の歴史を追求されている方で町石道がどの様にして出来たのか、町石一つ一つにその建て主の思いが宿っているとか、高野山の裏話など、普通に登っていたらまず分からなかった様々な事を教えていただけました。ちなみに、町石が建てられたのが鎌倉時代とのことですが、一つ建てるのに今の時価総額にすると1億円以上かかったみたいです。そして、高野山に近いほど金額も上がれば、建てた人の権威もあがるとのことでした。
そんなこんなで登ること約3時間、ようやく二ッ鳥居まで来ることが出来ました。
到着したのが午前9時過ぎでしたが、朝日に照らされた鳥居は神々しさを感じます。かつては木製の鳥居だったようですが、いつしか石の鳥居になったようです。それにしても、こんな高い所までこんな大きな鳥居をどの様に運んで建てたのかは案内してくださった方も分からないとのことでした。ちなみに、鳥居の脇の石の台を見ると真っ白い石英の石が一杯並べてあります。案内してくださった方が二つ鳥居までの道中に石英の石をそっと渡してくださって、「これを持って二ッ鳥居まで行ったらいい」と教えてくださったのです、なんでも二ッ鳥居に真っ白い石をお供えして、鳥居から西に向かって真っ白い心で願い事を一つすると叶うとの事でした。そのお心遣いに感謝しそっと西を向きお願いをさせていただきました。
二ッ鳥居から眺める景色は素晴らしく、晴れた日は紀伊水道を越えて淡路島から四国まで眺めることができるとのことです。
そして、眼下に広がる田園風景が美しい場所はかつらぎ町で、丹生都比売神社があります。もともと町石道から高野山を参拝される方はここ二ッ鳥居から丹生都比売神社まで下りていき、参拝してから再び町石を登って高野山を目指されたとのことです。昔の人はなんと健脚なんでしょうか。
なにはともあれ二ッ鳥居まで登ってこれました。この場所がちょうど120町石の場所ですので、3時間掛けてやっと3分の1登った事になります。時間はすでに午前9時半過ぎ。同じペースで登っていたらあと6時間掛けないと高野山にたどりつけません。さすがに、大丈夫なのかとまたまた不安になりましたが、案内してくださった方に聞くとここからはしばらく平坦なので大丈夫とのことでした。
そして、この場所で案内してくださった方と別れこの先は自分たち2人で向かうことになります。本当に心から感謝をお伝えして先を急ぐのでありました。
今回はここまでにして、次のブログで二つ鳥居から高野山参拝までを書かせてもらえたらと思います。
ご興味ある方は続きも是非読んでみてください。
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