私とスキーの思い出話|中学~高校生まで

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前回のブログでは保育園から小学校までの自分がどのようにスキーの魅力にハマっていったかをかかせてもらいました。今回はその後のスキーとの関わりについて書かせてもらいます。小学校で念願のスキー板とブーツを使わせてもらって、また毎週のスキー教室でパラレルターンやウェーデルンを身に着けたわけですが、中学になるとついに自分のスキー板を手にすることができました。どの様にスキー板を買ってもらったかはあんまり覚えていないのですが自分の板とブーツを購入できたことは本当に自分のスキー人生にとって大きな出来事でした。

私が初めて購入したスキー板ブランドは最も老舗と言っていいロシニョールの板でした。私が中学の頃は日本においてサロモンはそれほどメジャーにはなっていなくて、主にロシニョール、アトミック、オガサカが人気のブランドだったように思います。アトミック、オガサカを使いこなしている学校の先生がいてどちらも格好いいなあと思っていました。特にアトミックはロゴもかっこいいしそれを持ってた先生も滑りが上手くて、どちらかというと硬派な滑りというかダイナミックな滑りと言うか、今ではありえないのですがポンチョを着ながら滑ると言うの流行りだったのか蛍光色のポンチョを風になびかせなが滑ってくる姿がなんともかっこよく見えました。その先生がアトミックを使っていたのでアトミックも良かったですし、日本のナンバーワンメーカーとしてのオガサカもとっても良いブランドで当時上級者が良く使っていました。しかし、中学生の自分にはあまりにも値段が高すぎてとても手がでる板ではなかったので、どちらかと言うと一般的と言うか世界的に有名で名も知れているロシニョールの板を購入しました。

ロシニョールはフランス発症の板で、板の特徴としては柔らかさがありどちらかと言うと小回りターンを得意とする板だと思います。当時の自分としてはウェーデルンを極めたいと言う思いがあったのでその思いを叶えてくれる板としてやはりロシニョールは最適なブランドでもありました。

その板で中学時代は弟と2人でバスに乗ってスキー場までよくでかけました。うちの父親がバス会社に勤めていて、会社の系列がやっているスキー場が近くにあったので社員割と言うか安くリフト券を購入することができたので週末になると弟と2人でバスに乗って朝からスキー場に出かけては、夕方まで滑ってくるという生活をしていました。

自分のスキーを手にしてからは上達の速度も早く、土日でも自由に板が使えたのでどんどん練習してある程度のコブ斜面も難なく滑れる様になりました。高校の頃になるとスキー検定2級に挑戦し、見事高校2年で取ることができました。

この頃は一人でもスキー場に行っていて、よく松任谷由実さんの天国のドアが流れていたことを覚えています。スキー場と音楽はその時代時代でその時の事を思い出せてとても印象に残っていますね。

あと高校生になると友達と4人でスキー旅行にも行きました。高校1年生の春休みに当時それほど仲が良いとは言えない友達でも自分がスキーが出来ると言うだけで旅行に誘われて一緒にあれはどの様に行ったのか覚えてないですけど、長野県の戸隠スキー場まで泊まりで行ったような気がします。

今思えば高校1年で4人で泊まりの旅行に行けたんだという時代が恐いですが行きましたね。その時はスキーだけじゃ無くて麻雀をやりました。自分にとって麻雀は初めての経験で全くよく分からなかったのですがその他の3人は麻雀に詳しく、当時の時代背景としては高校生でも麻雀をやれる時代だったのだと今思えば驚きます。その麻雀では散々負けてとっても嫌な思いをしたのですが、スキーとなるとこれまた初めてスキーに行く連れが1人いて、ほとんどその連れの世話していたような気がします。今思えばあまり楽しい旅行では無かったように思いますが、それも青春の1ページとして心の思い出ではありますね。

そう、戸隠スキー場は中学の卒業の時も弟と2人で夜行バスに乗って行きました。どんな斜面だったかはあんまり覚えていないのですが、とにかく兄弟2人だけで泊まりの旅行に行けるドキドキ感が溜まらなかったですね。

その当時はとにかくスキーと旅行は切っても切れないもの、卒業旅行と言えばスキーみたいな時代でした。子供の頃からあんまり旅行にも行っていなかった自分としてはスキーのお陰で旅行に行かせてもらえる事が出来てその点でもスキーには感謝ですね。

今回は中学生~高校生までのスキーの思い出をつらつらと書かせてもらいました。次回は高校卒業時のスキー旅行から大学時代のスキーについて書かせてもらいますので、良かったら読んで下さい。

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